自分の人件費を稼ぐために仕事をしろ

「自分の人件費を稼ぐために仕事をしろ」
本日トップに言われた私の中で一番ホットな言葉である。


一見筋の通った文言のように見えるが、ものすごく違和感があったので、文章にしてみようと思う。
この言葉を聞いたとき、奴隷になった感覚というか、檻に入れられたようなそんなことを直感した。
この文章には、自分以外に誰も語られていない。十字架を背負っているのは自分だけである。


仕事には相手が必要である。
自分の身体的・知的運動が、自分のためではなく誰かのために行われるからこそ、自我を保つことが辛うじてできるのだと思う。自分を語る物語には、必ず他者が含まれているからである。
それが、他人のためではなくて自分のためにとなると、話は違ってくる。

自分の人件費を最終的なゴールとして仕事をした場合、それは他人への贈与ではなくて、仕事の結果はすべて自己利益の追求になってしまう。
自分の生活のために仕事をするのは当たり前だと思うかもしれない。それも一理ある。しかし、それは仕事といえるだろうか。自分の食べるものを栽培して、自分で食べる完全自己完結で自分は幸せになれるのだろうか。自分が獲得したものを、他人に分けてこそ、自分がやってきたことが単なる作業から仕事になるのではないだろうか。


今日はこの言葉のおかげで、もともとやる気のない私は、やる気マイナスである。
私はいったい何のために仕事をしているのだろう。