共働きの功罪

ここ3日間ほど、年長さんの娘が風邪で寝込んでいる。妻が看病して、熱も下がってきたようだけど、依然として娘は元気がない。それとは対照的に、2歳の息子は起きている間、止めどなくしゃべり続け、出力に余念がない。


最近、この二人の子どもを見ながら「やっぱり上の子は共働きでなければ、もっと違う態度だったかもなぁ」と思うことが多くなった。私の家庭は、かつて共働きで、妻が復帰するために長女は1歳に保育園に入園した。それから2年間、保育園に通い続けた。当時はとても慌しく、朝は急いで保育園へ行き、保育園から帰ったあとは家事を急いでこなし、気づいたら寝る時間という生活だった。


振り返ると、共働きも経済的には豊かであったけれど、家庭はプチ荒廃していたと思う。そして、その影響を一番受けているのは、現在風邪で寝込んでいる娘だと思う。現在の生活と比較をすると、特にそう思えてしまう。


共働きをしていたとき、仕事がともに忙しく、職場のノリをそのままに家庭に持ってきていた。私はそんなつもりはなかったが、今思うとやっぱりそうだった。子どもとご飯を食べている時も、遊ぶときも、仕事のことを考えていなかったかといえば嘘である。そんな思考を、私は身体から送信していて、娘はそれを受信してしまったのではと思う。本来そんなことを考えなくてもよい娘は、私たちのそういった雰囲気をそのまま背負ってしまったのではないか。


下の子が生まれて、娘はまるで親のような振る舞いを時々する。親子の関係のはずの私も、娘は子どもというよりも、私たち両親と同じ、こちらのフィールドにいる人間だという感覚がある。その感覚は、かつて共働きだった時の苦楽を共にした仲間であるという感覚である。だから、娘は「子ども」じゃなくて「仲間」であり、その感覚こそが私たちの未熟さ、偏狭さ故に何かを背負わせてしまった証拠なのである。


2歳の息子は、そういったものを一切背負っていない。自由である。子どもってそういう存在なんじゃないかと思うし、6歳の娘は、わが子としての生活を今更ながら享受してほしいと思う。