なぜ仕事中スーツを着なくちゃいけないの?

職場では当然のように皆スーツを着て仕事をしている。
それが常識であるかのような様相であるが、私はそんな中で、スーツを着ずに普段着で仕事をしている。スーツを着て仕事をしなければならない理由など私にはないことと、スーツを着ずに仕事をしたほうが事務仕事は階調快適だからである。


そうしているうち、同僚や上司から「なぜ、おまえはスーツを着て仕事をしないのか」とか「仕事中はスーツを着るべきだ」とか「おまえは損をしている」とか言われるようになってきた。
私は、同僚や上司に対して「スーツなんぞ着る必要はない」とか「ネクタイを外すべきだ」と言うつもりはない。仕事をするにあたって一番自分のポテンシャルを発揮できる服装を選べば良いと思っている。
だから、スーツのほうが調子が良ければそれを着続ければ良いと思う。


ただ「仕事中はスーツを着る」ことを常識として強要する「スーツ原理主義」を唱えることに、私は反対である。


現在、私が声が小さいながら言われ続けている論法として「仕事中スーツを着ることは社会人として常識である」から「おまえもスーツを着るべきだ」というものであるが、よくわからないのがこの2つである。
すなわち「なぜ仕事中にスーツを着ることが常識なのか」と「なぜスーツを着ていないことが駆逐されなければならないほど重大な問題なのか」である。


最初の疑問について、たしかに一般的に仕事中スーツを着る人達は多数だと思うが、すべての人達がそうではないので、それをもって常識と判断して強要するのは疑問である。
適当な推論だが、日本人は「皆同じである」という幻想を今日まで目標としていると思う。昔の「総中流社会」とか「男女平等」などがそうであるように、自分の取り巻く社会を、均質で違いのない社会にすることで高効率な社会にすることが理想であると考えてきた。
しかし、その考え方は人間の明らかな弱体化である。違いがなければ同じ病原体に犯された場合、壊滅する可能性がとても高くなるように、思考回路が均質化すれば、その考え方が崩壊した場合の壊滅度は、思考回路の共有度に比例する。「皆がやっているから常識であり、それに従うべし」という考え方は、危険だと私は思う。


第二の疑問について仮にスーツを着ることが一般的であるとしても、なぜそれを理由に必死にスーツを着せたがるのかがよく理解できない。服装なんて自由である。
彼らの言葉を言い換えれば「社会は均質化を大目標としている。あなたもそれに従うべきだ」と言っているのである。そうしなければ会社が滅びるぐらいに思っている。しかし、私が社会及び会社の均質化に加担しなければならない「義務」がどこにあるのだろうか。
それに実務レベルで考えても、私が会社内で普段着で仕事をしているからといって、会社自体の事務効率が大幅にダウンするなどありえない話である。
「急な来客はどうするのか」と言う同僚がいたが、だいたい急に来ておいて服装のことをとやかく言う客など相手にしないし、この仕事を10年以上やっているが、服装のことで来客などの外の人から注意を受けたことなど皆無である。


ほんのささやかな自由である。それを、わが社で働いている同じ立場の人間に「常識」という思考停止をもって「非常識」扱いされるのは悲しいことである。