裁量権を与えないことの悲劇

6月25日に大阪市にて行われた内田樹氏&江弘毅氏&平松市長による懇談会をUSTREAMで見ることができた。


その中で、内田先生がいろんなことを言っていた中で、組織の話がツボだったので書き留めておく。


内田先生曰く、組織の最前線にたつ者にある程度裁量権を与えなければ、上意下達の組織ではお伺いを立てる職員しか生まないと言っておられた。


裁量権がないと、お伺いを立てざるを得ないので、全くその通りである。


私の職場は、公務員的な風潮が色濃く、仕事の仕方も基本的に上意下達である。昨今の能力主義によって、上意下達の意識が少しずつ崩壊してきているものの、いまだ上意下達の状況には変わりはないので、末端の職員は事業管理者に判断を仰いでいる状況である。この状況で現在、知性のない事業管理者の存在が悲劇を生む。
例えば、一般職員が事業をしている際、裁量権がないために事業管理者に判断を聴かなければならない案件がある。しかし、事業管理者に知性がない場合、案件について意見を求める行為が、組織構造上仕方なく行われていることであると理解できず、管理者自身が有能であるからとか、一般社員側が無能であって判断不可能だからという理由で判断を聴きに来ているのだという勘違いが起こっているのだ。
これは、最前線にたっている職員に裁量権を与えていないが故の悲劇である。

人の判断は、普通の人であれば正直同じような答えである。「人の判断能力は限界があり、大差はない」とした場合、組織の最前線で仕事をしている職員が判断を聴きに来るのは、「そういう役回り」なのであり「無能であるから裁量権がない」ということが間違いであることぐらいわかるはずである。
裁量権を与えていれば、そこそこで末端職員が判断するため、わざわざ話を持ってこないし、与えている側も、仕事の話し方がトップダウンではなく、普通の会話調になるはずである。

逆に考えると、このような上意下達組織では、仕事の会話から管理者の知性が判断でき、部下に対する意識を推し量ることが、比較的簡単にできそうである。