保育園入園を待機している人は考えてほしい

先日、職場に大学院生がお見えになり、私の職場の概要を知りたいということだったので、あれこれお話した。
しかし、話を詰めてみると、どうも知りたかったのは私の職場のことではなかったので、しばらく保育園の待機児童のことについてお話した。


待機児童は、保育園に入園できない児童のことである。お越しになった大学院生は、待機児童の問題について、行政が保育園を増やさないからだと断じていた。その上で、地域には保育資格を有しながら主婦をしている人もいるので、そういう人と保育を必要としている児童をマッチングする事業を実施すればよいのではとおっしゃっておられた。
私は、ふむふむとその話を涼しく聞いていたのだけど、違和感をすごく感じていた。
そもそも、優先順位が「働くこと」であり、子どもを持った家庭の目的である「子どもを育てる」は其の次のような気がするのである。
たしかに、仕事をしなければ経済的に子どもを育てられないという理屈はわかる。しかし、子どもがいる家庭で二人共が働かなければならない状況を、私は想像できないのである。


現在、私は二児の父である。月収は20万程で、妻は仕事をしていない。月収のほとんどは、家のローンや光熱費、養育費であり、私の小遣いは1万円である。そんな家庭であるが、保育園に子どもを預けなくても、なんとかやっている。私や妻の娯楽費などはほぼ全て家庭と子どもに捧げているからであり、その自負は私と妻にもあると思う。
我が身を振り返ると、保育園に子どもを預けてまで働く理由とはなんなのかと考えてしまうのだ。
私は、妻が仕事を辞め、子どもが保育園を退園したとき、保育園に行かず、お金がない状況で得られる生活が以前の生活よりも豊かに成りえることを知ることができた。
共働きをすると、圧倒的に家庭に掛ける時間は少なくなり、同時に家庭を考える量も少なくなる。保育園に預ければ、送り迎えに時間を裂き、自前で料理をすることもままならなくなる。寝なければならない時間帯に子どもが眠らなければ、余裕もなくなってくる。働くことによって、得られるものはこうした慌ただしい生活である。


私は、保育園の存在を否定しているのではない。
保育園を利用して働くことを考えている人は、自分の価値観を見直してはどうかと言いたいのである。


私たち夫婦がこの選択をしたことによって、子どもはのびのびと暮らしていると思う。上の子を保育園に預けていた時期があるから見ているとよく分かる。保育園に行くと社会性が早期に培われるとかプラス面も確かにあるかもしれないが、逆に集団生活に恐怖を感じる可能性もある。本来の居場所である家庭とその正員と過ごす圧倒的な時間の格差や、仕事のことを考えなくてもよい状況の親と過ごす時間のクオリティを考えると、私たち家族にとってこの選択肢はよかったといえる。


保育園入園を待機している人は一度考え直してほしい。
なぜ自分は働くのか。
なぜそのために、その子は保育園に行くのか。