私は本当に健常者なのか

私が大学時代所属していた剣道部の創始者と一緒に仕事をしたことがあった。彼は障害者福祉に長年携わっていて、その知識は私に多大な影響を与え続けているのだか、その中でも、私の胸に刺さった一言をここに記しておきたい。


「人は必ず障害者として生まれ、そして障害者になって死んでいきます。今健常者である方も、いつか必ず障害者になります。」


彼と一緒に障害者福祉の仕事をしていたとき、彼を研修会の講師として招いたことがあった際の一説である。このセンテンスは今でも私の胸に深く残っている。意味はそのとおりで、理屈としてもよく理解できる。赤ちゃんは生まれてきたその瞬間を切り取って考えれば、歩くことも考えることも、言葉も何もない。障害者と健常者という二元論で考えた場合、赤ちゃんだった私は明らかに障害者である。高齢者も同様である。関節機能が若い時よりうまく動かなかったり、内蔵に疾患があったりしてうまく体が機能しなかったりした場合、それは健常者ではなく、障害者である。


そんなことを考え続けていたのだが、ふと我が身を振り返って思ったのである。私は本当に健常者なのだろうかと。あるいは、自分がそう信じているだけで、健常者なんてそもそも存在しないのではないかと。


私の体は、自分ではうまく機能しているようにみえる。しかし、ケガをして身体が動かなくなることだってあるし、それに自分が思っているだけで、見る人から見れば障害があるのかもしれない。もっと可能性があるのは知的障害や精神障害で、自分はそうではないと思っているだけで、改めて考えれば障害があるのかもしれない。つまるところ、障害者と健常者の境目なんて、曖昧どころか存在しないのではないか。


彼のこの一説は、障害者福祉の問の一つであると思う。私は、ここから何かを得ようとしているのだが、現在のところ、ここまでである。