中教審の中学校武道必修化について

「武道必修」で伝統文化への理解は深まるのか−。平成24年度から始まる中学校の武道必修化。しかし、中教審が示した「伝統」重視に異論を唱える声も少なくない。「礼に始まり礼に終わる」といわれる武道。その武道に精通していない教師もいる中で、礼儀正しさを身に付け、目標とする国際社会を生きる日本人を育成できるのか。


平成24年から始まる中学校の武道必修化について、書き留めておく。


中教審の示した武道必修による日本の伝統文化への理解については、ちょうど数年前この話題を目にしたとき、違和感があったことを記憶している。
なぜなら、「武道」と「伝統文化の理解」というこの二つの言葉には、相関関係がないように思われたからである。つまり、「武道をしたからといって日本伝統文化の理解には到達しない」と思うからである。


私は、小学校からこれまで剣道をやってきた。その体験から導きだされる答えが、上記のとおりである。


剣道は、その技術から身体技法を学び、自己と他者についての本質的な感覚を身につけるものだと思う。剣道で言えば、相手も私も同体であり、技によってそれがどれくらいシンクロしているかということの確認があらゆる術理であるように思われる。そのことから、相手(自分でもあるのだが)に対しての敬意は現れる。礼に始まり、礼に終わるというのはその形であって、そのものに意味があるわけではない。


私が感じている違和感は、「武道をしたら礼儀正しさ(それは本来日本人が有していた物)が身につくぜ」という、楽観というか功利的な考え方で、中教審が導入を判断しているように思われるからである。たしかに考え方はあっているかもしれない。しかし、内田氏が述べているように、スポーツ化する以前の中教審が考えている(だろう)「武道」は戦後ほとんど壊滅状態である。
剣道も、戦前に行われた「剣術」と戦後徐々に確立された「剣道」は別のものである。事の善悪は別にして、近代剣道が歩んできた道を、私たち剣道をする人々は、それでも「剣道」を上記のような身体技法として稽古してきたのである。
中には、勝負にこだわって剣道をしている方もいるでしょう。それはそれで否定はしませんし、その姿勢についてダメだと言うつもりは毛頭ないです。しかし一方で、中教審のめざす「武道による日本の伝統文化の理解」というのは、同時に剣道が失ってしまった武道の復権意外に筋が通らないような気がするのである。