自転車に乗ろうとしない娘に、私がやった邪悪なこと

娘はまじめな子なので、社会的に「悪」とされていることは、当たり前に注意してくる。
今日も、いつものように娘の自転車練習に付き合っていたのだが、臆病な娘はどうしても補助輪なしの自転車に乗ろうとしない。転ぶのが怖いのだ。


確かに乗っているときに、きつく言って教えているかもしれない。
しかし、もう一つの練習用自転車(幼児用のやつ)はスイスイ乗っているので、買い与えた20インチの自転車はもう乗れるはずなのだ。あとは乗って練習するだけ。


そして今日もゴチャゴチャ言い訳して全然乗らないので、新しいピカピカの自転車を「こんな乗らない自転車なんて、いらないんだっ!」といって自転車にローキックをかましてやった。
それが、狙いどおり娘の琴線に触れた。しめしめ。


「なんでそんなことするのっ!?」と怒って言ってくるので、すかさず「せっかく買ったのにゴチャゴチャ言い訳して乗らないんだったら、こんな自転車いらないんだっ!」と言って、やや速めのローキックを後輪へ。すると「やめてよっ!」と言って乗り始めた。・・・作戦どおり。


娘は単純に、なぜそんな悪いことするのかと怒っていたのだが、私のやったことは決して「悪い」ことではない、と思う。確かに、自転車にローキックという娘にとっては暴力行為のなにものでもない。まじめな娘はその切り取られた暴力行為が腑に落ちないようで、「パパいかんのだよそんなことして!」と言ってくる。
しかし、娘に欠けているものは、自転車に乗ってもらいたいと私が切実に願っているという現実認識であり、それを印象づけるきっかけがローキックであったという幼稚園児には理解できないだろう難解なお話なのである。


私のそれによって、娘の得たものは思惑とは違っていたかもしれない。しかし、「なぜ父はあんなことをするのか?」という問いを投げかけることで、私は娘にとっての父ではない何者かとなって、娘と簡単には埋めがたい距離を作り、自転車の乗り方を説いた。そんなところである。


私は、「優しいパパ」などというイデオロギッシュな存在にはなりたくないのだった。