Love is 俺の金

誤解を招くので、これは個人的な意見としてここに記す。ちなみにタイトルはホッテントリメーカー製。


福祉業界には独立行政法人が運営する退職共済制度がある。この制度の歴史は半世紀ほどで、そもそもお金のない社会福祉労働者に対して「並のサラリーマン」程度の退職金を給することができないかという考えから成立したものだ。


この独立行政法人は、昔は財団法人であったと記憶している。独立行政法人化は、かつての行革によるもので、それが影響しているとは言えないが、平明になりつつあるのではないかと思う。これは時間的な要因もあるだろうと考えられるけれど、かつては、退職共済制度という仕組みがクリアなものであっても、拳が乗るというか、思想があったように思う。


「退職共済制度に思想なんていらないだろ。俺達は掛け金払ってんだからさっさと払え」


などと言う人は必ずいる。というかそういう人のほうが近年特に多いだろう。私はその意見を理解こそすれ、簡単にこのような偽の等価交換に同意するわけにはいかない。なぜかといえば、この制度は、そういうことを言う人をも含めて対象とする制度であり、そういうことを言う人にはどうしてこのような制度が現れたのかおそらく理解できないだろう制度だからである。


社会福祉は、ほとんどの行動がそうであるように「それありき」というものではない。まず貧困があり、障害があり、それを何とかしなければならないと考えた人がいたからあるのである。あるいは、そういった状況に対して、なにか伝えたいことがあったから始まった。そういった流れを経て、それを「社会福祉」と呼び、国家が制度として枠を作ったのである。
半世紀前の福祉制度は、草の根のような状況であった。孤児や高齢者、障害者のみならず、福祉を職業とする人々に対しても偏見に満ちていた。現在もないとはいえない。
そんな状況で、個々の福祉施設においては就業規則はおろか、もちろん退職制度など確立されてはいなかった。某財団法人はそのような状況のなかで現れ、国家予算を使いながら今もなお制度として立っているのである。


簡単ではない。そう言いたいのである。社会福祉が、今のような職場としてフェアに機能するのに、途方もない時間や人間が必要だった。そして某独立行政法人もその一躍を担っているのは紛れもない事実である。そして、財団法人時代はそういったことを自負しながら、なお担々と退職金を給していたのであり、この自負する姿勢を「拳が乗る」と述べたのである。


話を元に戻して、なぜ「掛け金払ってんだからさっさと払え」という意見に与しないかといえば、そういった罵声を公のものに浴びせることが、してもいいことであるという風潮からおそらく導かれたものだ考えるからだ。確かに共済制度に掛け金払ってるから退職金が払われる。しかし、福祉施設の労働者にフェアに退職金が、しかも外部組織の機能を借りて、これほど広く給されるようになったのは本当に最近の話なのであり、決して当然にあったものではないのである。


それに、そういう人が言っている言葉の裏には「俺の金」という概念が伏流している。しかし、給される退職金は「俺の金」ではない、実は国家予算と「他人の金」である。掛金も実は「俺の金」ではない。俺のものではないものを脅迫的に獲るというのは、態度としては変ではないか。
そもそも「俺の金」なんて存在しないのではないか。自戒を込めてそう思うのである。