日陰者道のスタートライン

先日、わが社にて「財源確保アイディア」を募集するという取り組みが示された。
諸般の事情があって、収入が激減しているため、人件費の確保のための取り組みだろうと思われる。
ジャックポットなアイディアには、いいことがあるらしい。そりゃ結構なことだね。


これを機会に、いろいろと団体が持っている事業について考えを巡らせる。


う〜ん。何も思いつかない。


考えを巡らせると、経済的ではないところの、事業や団体の諸問題についてしか考えが及ばない。どうやら私は、儲けることに関しての欲が身体にビルトインされてないようである。私の頭を支配していたのは、だいたい次のようなことだった。


確かにわが社は、財政的に傾きつつあるのかもしれない。色々な事業を行うにしても、人がいなければ成り立たない。その財源を確保していくことは社の根幹に関わることであるし、無視するわけにはいかないことは理解できる。
しかるに、「じゃあ儲かることすればいいんじゃね?」という単純な話にこの問題を収めていいのだろうか。そもそもわが社の最重要事項はお金儲けなのだろうか。
曲がりなりにも社会福祉を生業とした組織である。現在動いている事業についてとことん考えるのが先のような気がするのだ。現在の事業をそのままにして、新しいアイディアにキャッチアップしていくというのは、今までの自分たちがしてきたことへの敬意があまりにもないように思うし、だいたい「新しいことをして儲けよう」という行為は、それにかかる人件費をゼロ査定しているように思える。新たに採用されたアイディアの業務は、今いる職員にプラスされるのである。これは効率的と言えるだろうか。
財源確保アイディアの募集をしている人を、私は悪いとは思わない。でも、それを行うことによる既存システムの影響も、少しは自覚してほしいと思う。


こんなことを夜中考えていた。われながらネガティブ。
そしてさらにネガティブシンキングを繰り返すのだが、もしこの「財源確保アイディア募集」に、わが社の職員が応募する、つまり大袈裟に言うと経済至上主義に同時署名することによって、私は晴れて「日陰者」となる。皆が「ざいげん、ざいげん」と言っている中で「そんなにお金大事ですかね?」などと寝言をほざくのだから仕方がない。ただ、この意見は譲れない。日陰者覚悟で言っているのである。そんな私でもなお首にされずに生き残ることができるのなら、わが社も捨てたものではないと思うのだが、この先どうなるだろうか。