災害派遣職員を見送る顔

わが社でも被災地へ向けて、支援をする職員派遣をすることになり、先週第1陣、そして今日第2陣が現地へ向かった。向かった先は、同業者の業務支援になる。カウンターパートを小規模ながら担う仕事になる。


先日来頭を擡げている「現地の人にどのような態度を取れようか」ということを、第2陣の出発の際にも考えた。俺達の手は汚れてはいないだろうか。そう考えさせられた出来事が、ちょうどこの第2陣の出発の見送りだった。


わが社だけの話だが、派遣に際して盛大に見送りを行っている。
別に見送ることを悪いと言うつもりはない。
ただ、我々は戦時中こういうふうにして戦場に身内を送り出してきたのだろうと、ふと過ぎった。
見送っている人達は、被災地へ行く人間たちに「がんばって」という気持ちを込めて純粋に送り出している。けれど、そこにはなにか決定的に欠けているものがあるような気がした。


う〜ん。


それは、災害に対する畏怖だろうか。多少なりともあるのだろうが、違う。


なにかあまりにも正義すぎることの胡散臭さの自覚。そんなところかもしれない。
私も含め、見送る人達は、派遣される職員に何かを背負いこませて、そして背中をポンと叩いた後、まるで何事もなかったかのように、仕事に戻ってくる。家に帰り、温かい御飯を食べ、風呂に入り、布団で寝る。そして、同じ今日をまた生き続ける。本当は、今ここにいる間にも、震災は存在するし、これからもあり続ける。私はそんなことを忘れて、あるいは見ないふりをして、同じ今日を生きているのである。これが私の感じる胡散臭さの原因なのかもしれない。


私は、第1陣も第2陣も見送らなかった。


見送っている人達は、皆笑っていた。何がおかしいのかよくわからなかった。
あるいは、暗い面持ちで見送っても不安が募るばかりなので、無理をしているのかもしれない。
でも、私は派遣職員に対するある種の「罰ゲーム」感からくる傍観者の嘲笑を見逃さなかった。
「大変だろうけど」という言葉は、一体どこから、誰が言っているのだろう。