震災に乗じたナショナリズム

テレビや新聞、雑誌、マスメディアが発信する全てが「がんばろう!日本」といっている。いい加減、気持ち悪い。


昨日はその気持ち悪さはなんだろうと考えていた。


「気持ち悪い」その気持自体は、2011-03-31の「それでもなお普通に暮らす自分」の末文に書いたが(自分で今気づいた)、それは平たく言うと「ナショナリズム嫌悪」かなと思った。


とくにテレビは、ナショナリズム撒き散らし装置として十分に機能している。みんな「がんばろう!日本」といって、発信する人と同じ行動をさせようとしている。震災後から発信している同じ内容のCMも、「自粛しよう」とか「節約しよう」とか、被災した人達を括弧に入れて、そうではない俺たちは同じように行動しようと唱えている。
新聞で、先日のサッカーの観客の写真を見た時も、「頑張ろう!」という横断幕をつくって、みな同じ格好をして、同じ表情をしている。
これを美しいという人もいる。私も、その理屈を体感できなくはない。


でも、テレビの人にしてもサッカーのサポーターにしても、別に震災じゃなくたって同じように国が何か危機的な状況に陥ったとき(あるいは、陥ったように見えたとき)、同じようにそれを利用してナショナリズムをまき散らしただろうと思う。
だってホントは、被災者や被災地の復興が目的じゃなくて、何でもいいから周りの人と同じように振る舞いたいだけなんじゃないの?


そうするとナショナリズムとはちょっと違うのかもしれないけど、ナショナリストってそんな語法で大声で叫ぶから、それがもともと気持ち悪いと思っているので、私は今回もそう思ったのかもしれない。