やっぱり「お金」じゃない

以前、仕事場に生活相談の電話がかかってきたことがあった。
結局、それは筋違いな話だったのだが、あまりにも困っていた様子だったので、相談には乗って、しばらく話をした。


その人は、生活に困っていて生活保護を受けていたそうである。最近まで仕事があったので、生活保護はなんとか回避できていたが、仕事を失って、またお金に困っている様子だった。


ところが、話を深く聞いていると、どうも主訴はそうではない。


生活保護を以前受けていたとき、そのことを地元の人に知られてしまい、文字通り「後ろ指を指されながら」生活をし、それに耐えられなかったので、もう生活保護は受けたくないというのである。


私も、ここ最近はとくに、アメリカングローバリズムに懐疑的であり市場経済主義的な考え方があまり好きではなかったのだけれど、改めてお金に困っているのにもかかわらず、「困っているのはお金じゃない」と言われたとき、はたと「やっぱそうだよな」と思ったのである。


結局、生活保護制度は貧困という問題を「お金」という側面でしか解決しようとしていない。やっぱり金なのだ。メディアも生活保護制度に関しては「クーラーが贅沢だ」とか「保護費でパチンコ」とか、結局金のことしか言っていない。
でも、人が生活していくためには(特に弱者が生きていく局面においては)、お金じゃなくて、ネットワークが必要なんじゃないか。そう思ったのである。


電話口の人だって、生活費の問題よりも、地縁の問題の方がずっと深刻だったのである。生活保護受けるぐらいなら、他の土地に行って住みたいと実際言うぐらい。


こんな事を思い出したのは、私がちょっとばかり困っているからかもしれない。
問題は「お金」じゃなくて「生活」なのである。