人間不信?じゃなくてバカ嫌い

今更だけど、僕はバカを心底信用していないんだなぁと思う。
その信用していない具合ときたら、かなり末期の状態だ。


いろいろ話していても、結局自分のいいようにしか話をしてこないし、理解しようとしないし・・・、理由を挙げればきりがない。
「信用できない」という概念が先行して、それを導き出す理由をあげているから、そういう結論になるのは仕方がないのだけれど、ではなぜ信用できなくなったのか、その理由を、「だからバカだからでしょ」という答えから考えてみることにする。


僕が思うバカというのは、たぶん他責的な思考、人のせいにする思考それだと考えられる。自分がバカ認定した人たちをどのカテゴリに放り込むか考えたとき、この「他責的」という言葉がぴったりくる。
あらゆる事柄について、自分は悪くなくて、その他が悪いということは、まぁあり得ない。どんな悪人にだって、それなりのそこにいたる経緯があり、同等ではないが、例えばそれに関わったのなら当事者は有責だし、もっと射程を広くするなら、世界で起こっていることは、自分とまったく無関係ではあり得ない。そういった有責感を帯同している人は、会話をするとすぐにわかる。そういう人は、とにかく相手のしてしまったことをとりあえず括弧に入れて話をする。逆に、自分は悪くなくて、あるいは自分はエリア外にいて、そもそもそのことについては関係ないと思っている人も、会話をするとわかってしまう。「これは君だけに責任がある」というメッセージを、全ての会話に伏流させて話す人がそれだ。クレーマーみたいな話し方をする人は、それかな。


そういった他責的な人を相手に物事を動かそうとすると、事がうまくいっているときは良いのだけれど、なぜか物事はうまく運ばなくなる。「こんな状況になったのはおまえのせいだ」と言われて、誰も良い気分にはならないからである。当たり前だけど。
そして、そのバカと一緒に何かをする場合も同様にうまくいかない。他責的であるということは、つまり「すぐ裏切ってどっかいっちゃう人」だからである。


人と何かをしようとした時、僕の場合は「仲間を売らない人」というのがかなり高い優先順位の一つだ。そういう自分も、かつて仲間を売ってしまったことがあるので、自戒を込めてこれを書いているし、今はこれはかなり気をつけていることである。


仲間を売ってしまってどっかいっちゃう人は、信用できない。ここにきて当たり前のこと書くけど、そういうことだ。