自己責任って言うなよ

先日、妻の体調が悪化し、二週間ほど自宅で絶対安静だったので、有給を使って仕事を休ませてもらった。
小さな子供(天下の素浪人)もいるし、家事が回らないので、とりあえず有給をとった。


当然ここは日本なので、こういった理由で休みをとろうとすると、「なんとか出勤できないか」という趣旨のことを誰もが言ってくる。「親戚に頼めないのか」とか「子どもを保育園へ預けられないか」とか。あげく「入院すればいいじゃん」ということを言われたこともあった。
きっとこれらの言葉の中には、僕に対しての普段感じている気に食わなさを、発散するような形の悪意に満ちたものも含まれているだろうが、本当に状況をどうにかしたくて言ってくれた言葉もあろうと思う。


しかし、こうした善意に満ちた言葉をかけられるうち、一体僕はなんのためにここに来てこんなことをしているのだろうという気持ちになった。
何でこんなに僕に職場に来て欲しいのだろう。あるいは前記はこう言いかえられる。何でこんなに僕を職場に来させたいのか。


僕の率直な気持ちとして、わが家が弱いながらも、ちゃんと回らなければ、仕事もとても無理だと思っていて、それは誰もがそうだと思っていた。
誰もがそうなのだから、それが回復されるまで(しかも今回は二週間という一時的なものだし)猶予をしてほしい。そういう気持ちだった。だから、誰もが負っている小さなリスクに対して、僕もできうる限りの他人の仕事を背負ってきたし、これからも背負うつもりだった。


平たく言うと、こういうことは、お互い様だと思っていた。


けれど、僕に掛けられる言葉に伏流しているのは「自己責任」であって、皆それを実行していて(できてないけど)、家庭のことは家庭で何とかして、仕事には支障がないようにと言っていたのだ。
僕を職場に来させたい理由は、何の事はないこの「自己責任」という感じから導きだされたものたちだった。


そして「自己責任」を日々浴びているうちに、
「ふーん。自己責任ね。はいはい自己責任、自己責任、ヴォォォォォォォォッ!」
となったのである。


一体なんだ「自己責任」って。
そうやって最もらしい言葉を使って、共同体を解体していって、自分の首を絞めているだけじゃないか。
僕はたまたま今弱い立場になった。お願いしなければならない立場になった。だけど、それは一時的なことで、お願いされる君たちだって、いずれ必ず今の僕と同じ弱い立場になる。そうであっても君たちは後生大事にしている「自己責任」を振りかざして、ニコニコ出勤してくるつもりなのだろう。


だが、僕はそんな職場は少しもハッピーだとは思わない。