田嶋陽子と僕

田嶋陽子が「ビートたけしのTVタックル」に出演していたのが、ちょうど高校生になった頃だったと思う。当時の僕には、彼女の主張がとても合理的なものと思えた。その思想に「フェミニズム」という名前が付いているということに気づかないほど、当時の僕は世間知らずだった。
最近では、当時ほどフェミニズムは台頭していないけれど、主張としては、当時のままのような気がする。しばしばフェミニズム的な文章を目にするたびに、僕が高校生だった頃の田嶋陽子が主張していたことを思い返すようになった。そして当時の僕自身の思いもだ。


世間知らずでガードの甘かった高校生の僕は、田嶋陽子が発していたフェミニズムをテレビを通して浴び続け、フェミ男になってしまっていた。テレビで大声で田嶋氏がフェミニズムを発していたので、僕の眼にはそれがポストモダンな感じに思えたのだ。それが将来的に「正しい思想」なんだと。
経済力も人間関係も自分のキャパシティを超えて構築されていなかった当時の僕は、自分の手が届く範囲の中で、フェミニズムを実行していた。
女性の意見を出来る限り尊重し、性的に虐げてはいないかと常に自分をチェックし、自分の居場所を求める女性が入れば席を譲ることを何の疑いもなく実行していた。そして、日を追うごとにフェミニズムは僕の思想に深く入り込んでいって、その姿がわからないぐらいに「普通」になっていった。


ところが大学に入学してから、少しずつこのフェミニズムが邪魔になってきた。女性と付き合いだすと、こちらもある程度積極的にならないと相手からあまりやる気のないように思われるのだ。かといって積極的にこちらがなると、逆に父権的と思われるのではないかと考えていたのである。
僕の中に染み付いていたフェミニズムは、当の女性を敬遠するように方向づけられていたのである。
それは、テレビに映る田嶋陽子が僕の中で「知的女性の権化」であり、知的な女性はつまりフェミニストだと考えていて(ここが捻れているのだが・・・)、そのような女性と付き合うためには、少なくとも父権主義的であってはならないと考えていたからである。
このような理由で別れたくはなかった僕は、女性を持ち上げながら付き合うようになった。でも、これは現実の女性自身を見てはおらず、僕の考える知的な女性を投写して見ていたように思う。
今から思えば、現実そんなにフェミニズムは浸透しておらず、僕と付き合う女性は結果的にフェミニストではなかった。上野千鶴子のようなフェミ原理主義者には出会わなかったし、会話の中にフェミニズムを感じるようなこともなかったように思う。
田嶋陽子によって深く突き刺されたフェミニズムの矢を、僕は抜けないまま大学を卒業した。


そして、結婚する際名前が変わるというときに、再びフェミニズムの矢が僕を苦しめた。
実際は違うという議論もあるだろうけれど、僕にとって夫婦別姓フェミニズムを最もわかりやすい形にしたものだという認識だった。よって、相手がどう思っているかを考えずに「改姓することは父権主義的行為である」という考えが僕の行動に急ブレーキをかけていた。極端に言うと、この考えから結婚を切り出すことが大幅に遅れたことは事実である。改姓を求めれば即刻結婚は断られるだろうという、今思えば妄想だったが、しかしかなり強い妄想に悩まされていた。実際、改姓を嫌がってはいなかった。


このような文章を書いたが、僕は決して田嶋陽子を恨んではいない。現在の僕がこうしていられるのもフェミニズムが少なからず影響しており、それなりに幸せに暮らしているからである。それに、僕はこのように田嶋陽子が唱えた思想と共に現実を生きてきた。
高校生から今日まで、深度の差はあれ僕の中にフェミニズムは根づいている。良い方へ影響することもあるし、悪く作用することもある。最近は、自分のそのような思想に「フェミニズム」という名前が付けられてから、少しは過去の息苦しさをこうして説明できるようになったので、幾分気が楽になった。


結婚後、僕は家事を積極的にするようにした。これもやっぱり「父権主義的に振舞う」ことへの反動である。