小室哲哉と僕

小室哲哉は、中学生の頃からの僕のアイドルだった。
当時はTMNETWORKのキーボーディストとして活動していて、キーボードのテクニックから見せ方まで、全てがかっこよくて、追っかけていた。


きっかけは、シティーハンターというアニメのエンディングテーマの「Get Wild」。それから、新譜が出るたびにCDを買い、コンサートに行ったりもしていた。


高校生頃から僕はTMNETWORK原理主義者だった。オタクが排他的であるように、僕も例外なくTM以外の曲やバンドを否定的に捉えていた。TMこそがNo.1であるという言葉を本当に事あるごとに唱えていたので、友だちからはウザがられていただろうと思う。


ところが大学に入学してから、少しずつTMNETWORK熱が影をひそめてきた。ほとんど音楽に関して人と話をすることがなくなり、音楽の趣味がアイデンティティを脅かす機会が極端に減ったため、ことさらTMのことを言わなくても済むようになったのである。そしてこのころから、音楽の嗜好について頑なであることの息苦しさを感じるようになり始めた。
後に、頑な感を脱してTM以外の曲を楽しむのに、かなりの時間を費やした。


社会人になってからは、いろいろな曲を聞くようにはなったが、それでもTMNETWORKや小室哲哉の音楽は常にチェックしていた。そして、それは特別なもののように感じていた。
しかし、TMも人間なので歳をとってきて、次第に表舞台で活動することは少なくなり、このまま僕の情熱も過去のものとなるだろうと思っていた。ある時点から、この状態を息苦しいと感じていたので、そうなることに安堵感もあった。


2006年、小室哲哉が詐欺事件で逮捕された。新聞にデカく記事が載った時には、さすがに意気消沈した。社会人になってある程度時間が立ち、小室哲哉への情熱もかなり下火になってきたところに、このような事件があったからだ。
過去の恋人を無碍にできずにいた僕は、小室哲哉を吊るし上げるマスメディアに強い怒りを感じ、しばらくこの事件に関する報道を一切見なかった。
その後も、音楽番組の特番に小室哲哉が手がける曲が全く流れなくなったことにも憤りを感じていた。
TMNETWORKの全盛期、あれだけ煽っておいて、まるで一切それがなかったように振舞うマスメディアに、見切りをつけたのもこの件が一因である。


今は「小室哲哉」という名前やTMNETWORKの曲を聴くたびに、なんだか気恥ずかしい気分になるが、それでも、当時聴いて熱狂した曲は、今でもシビれる曲には違いない。小室哲哉が与えてくれたことは、彼の手がけた曲と、メディアへの懐疑だった。


小室哲哉との思い出を振り返ると、アイデンティティが不安定だった高校生だった頃、原理主義という形で小室哲哉が僕の思考を支配していたことは、仕方のなかったことと思う。とにかく拠り所が欲しかったんだと。それが、今日までずっと、ある程度毒が抜けたものの、捻れた状態で残っていることもまた確かである。


ただ、僕はそれを悪いことだとは思っていない。(田嶋陽子に続き、またかよ!)


僕がこうしてここにいるのは、小室哲哉の音楽や思想が少なからず影響しているし、すでにこのような現実を生きてきてしまったのだから。


僕の家には今も、小室先生がプロデュースしたEOS-B700が置いてある。これは、過去小室哲哉の音楽やシンセプレイを愛していたことの名残なのだ。