マニュアル化の落とし穴

仕事の引き継ぎをする際に、入社当時、引継書を前任者が作ってくれていて、それを見ながら仕事を説明してくれた。
実際それは役に立って、自分もそれを参考に自分の仕事を後任に引き継いだ。
ところが、部門によっては引継書が存在しないところがある。むしろわが社においては、それが普通なのかと思うぐらい、そういうものがほぼ皆無であった。入社時の引継書がある状態の方が、奇跡的だったのだ。


私の初めての部所異動の時は、引継書が存在せず、わからないことがあるとその都度前任者に聞いていたので、さぞウザかっただろうと思うが、それは業務を説明する物理的な書物がなかったためだ。


二回目の異動時、引継書がなかったので作ることにし、簡単なマニュアルを作って後輩に渡して説明をした。
そうしたのには理由が二つあった。
一つは、業務内容はルーティンワークだったのでマニュアル化が可能だと思い、一度作れば引き継ぎが楽になるだろうと考えたからであった。
二つ目は、「マニュアルがあれば業務内容がわかって仕事ができるんだけどなぁ」と言われたことであった。


仕事を俯瞰する書類がなく苦労をした経験もあって、仕事をマニュアル化してそれを渡すことには何の疑問もなかった。
これで、みんなも円滑に仕事を引き継ぐことができるだろうと考えていた。


しかし、やはり落とし穴はあった。


一つ目の落とし穴は、ルーティンワークをマニュアル化したら、後任はそれを忠実に再現するが、それ以上のことをしなかったことである。マニュアルはそれを運用することはとても便利なのだけれど、あまりに単純に作ったために惰性の強いものとなって、誰もそれを逸脱しようとしなかったのである。
それを忠実に実現すること自体は、別に悪いことではない。けれども私の望んでいたのは、マニュアル化することによるマニュアルすら存在しない現体制からの脱却であって、業務内容の固定化ではなかったのである。


二つ目の落とし穴は、「マニュアルがあれば仕事できる」という人の行間に漂う傲慢さを見抜けなかったことである。
「マニュアルがあれば・・・」という裏には、「マニュアルがないうちは仕事ができなくても非難されない。なぜなら、仕事を適切に教授しない前任が非難されるべきだからだ」という毒のようなものが伏流していたのである。
これも一種のマニュアル至上主義なのだろうか。
こういう意見に対しては、こちらも完璧なマニュアルを作るか、マニュアルに頼る引継ぎをせず口伝で引き継ぐということをスタンダードとするかどちらかしかない。
そして、どちらが汎用性があるかと考えると、一つ目の落とし穴を避けると「口伝で仕事を伝えていく」という選択が、にわかに現実化してくるのである。


もともと、口伝をどうにかするためにマニュアルを作ったのだったが、一周回って口伝が実は仕事を伝える上でベターなのではないかということになりそうなのである。