知識をぐるぐるして出力

僕の知識は最近は専ら読書からであって、経験を後から解釈して知識とする場合もあるけれど、その解釈も読書の手を借りている。
こうして積み上げられる知識は、私の頭の中でぐるぐる回っているのだけれど、それだけではあまり役には立たない。山のような知識も、存在それ自体は価値を発生しない。


それをゴミにしないためには、身体性の付与というか運動をさせなければならない。
平たく言うと、経験に裏付けられた知識ということである。
「経験すること」が先か「知識を得ること」が先なのかは置いといて。
あるいは、どちらが先かという問題は意味が無いのかもしれない。


昨年から10年のブランクを経て、再び剣道をやり始めた。
剣道は、打ち合って勝負を決するというスポーツの意味合いもあるが、それよりも稽古を積み重ねることによって、霊的に成長する(怪しい表現だけれども)意味合いも多分にある。僕としては、むしろ後者の意味合いが今の年齢も考えると強い。
学生の頃といえば、とにかく早く打つということばかり考えて、焦って打って出る剣道をしていたのだけれど、今は術をかけて打つということを意識しながら稽古をしている。


この「術をかける」ということが、「知識の身体性」だと僕は考えている。


今まで積み上げられてきたことを、頭の中でぐるぐるしていたことを出力する。この「出力する」ことが知識を価値付けることの唯一ではないかと、剣道を通して思い直したのである。