村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチによせて

日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原発に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった。それが、広島、長崎の犠牲者に対する、集合的責任の取り方となったはずだ。

第二次大戦後、ヨーロッパの思想家たちがナチスに虐殺された死者たちを鎮魂するために語った言葉を思い出した。死者たちは彼らに切迫し、彼らもそれに応えようとしていたように思う。
日本でも同じように、死者たちの声を聞き、鎮めようとする言葉はあったのかもしれないけれど、結果的には正しい形で鎮まらなかった所があったということだろうと、村上氏の言葉を見てそう思った。


その昔、核兵器によって犠牲になった同胞たちがいて、それをネグレクトすることで得た背徳のエネルギーを、私は使っている。その無自覚が、今回の結果なのかもしれない。
そうすると、これから僕らがしなければならないことは、村上氏の言うとおり、核にノート叫び続ける非現実的な夢想家になるしかない。


私の個人的な感覚だと、戦没者、特に広島、長崎の犠牲者の切迫は、「はだしのゲン」であり、毎年お盆に行われる広島慰霊祭である。
ずいぶん想像力を欠いているように思うけれど、慰霊祭や、体験者の話を聴くということ以外に、それを考える事はなんとなく「いけないこと」だという雰囲気は私にはあった。戦争に負けたのだからということで蓋をしてしまったような感じで。
けれど、この「いけないことだ」というところで止めてしまったところが想像力の欠如であって、私はそこから「なぜこのことを考えることがいけないことだと考えるのか」という問いを立てなければならなかった。その問いを立ててなお沈黙することと、それなしにすることでは、沈黙の意味も違う。


祖父は、戦争の話を進んではしたがらない。こちらが聞く態度でなければ話さない。
しかし、沈黙それ自体がメッセージ性を帯びることもある。祖父の戦争に対する態度はそのようなものだと思う。
あるいはもしかすると、祖父の沈黙は、戦争の死者たちを代弁しないこと、戦争それ自体を語らないことで、戦争や死を呪鎮しているのかもしれない。
そして私は、その態度を敬すると同時に、死者の代弁をする人達を訝しむのである。