過去の自分は他者である

『20年前位の自分に言いたいこと』−アルファルファモザイク


定期的にこういうスレが立つようなのだけれど、見るたびに過去の自分はもはや自分ではなくて他者なのだなと思う。


刻一刻と時が過ぎていて、現在から怒涛のように過去が生産されていくが、その過去は僕にはもう一望俯瞰することは不可能だし、現在へ戻すこともできない。つまり「過去の自分」という像は、触れることも許されない絶対的他者なのである。


だから、こういったスレッドは面白い。


応答もない、実態もない者に向かって語りかける仕方で、このスレッドは成り立っている。
それはそのまま祈りの様相であって、スレッドに吐露されている言葉はつまりその人達の祈りそのものなのである。私も20年前の自分に向かって掛ける言葉は祈りとなる。

それにしても、このスレの中に「〜はするな」とか「〜と付き合ってはいけない」とか、行動を抑制するようなことがよく書かれているのだけれど、現在の自分から過去の自分に対して行動を抑制したいということを書くということは、それはそのまま現在の自分を否定しているということなのだけれど、そう考えると頭が混乱してくる。それを書くということは、現在の自分の否定と、新しい自分の誕生の欲望ということなのだろう。


それから、このスレッドを応用して、既に未来の自分になりきって現在の自分に語りかけるという仕方で、自分の行動を決めていくというのも面白いと思う。
今現在にいる自分は実は仮想的20年後の自分であって、現在の自分をその地点から俯瞰して語りかける。・・・あれ?これはそのまま武道の話か。