人件費捻出のための労働?

人間は誰でもお金が好きであるが、お金のためだけに生きているわけではない。お金のために一所懸命働くことと、お金のためだけに働くことはまったく別なことである。前者は、お金は本来の目的物と交換するための媒介物であるが、後者はお金そのものが目的なのである。そして、後者の場合、本当はお金のために働くのではなく、お金によって働かされているのだという、主客の逆転が起こっている。

『株式会社という病』25頁−平川克美


現在読本中の一節。私のしている事業の状況を表した文章の中で、一番的を得た文である。
私が事務を任されている事業の愚痴はこのブログにたびたび書いた。その一つに、「人件費を稼ぐために仕事をしろ」ということを上司に言われたことがあった。そのときは、贈与と返礼について書いたのだが、そもそもの話で私たちの組織はいったい何なのかというところから掘り下げることはしなかった。
この文章はそのきっかけを与えてくれる。


「人件費を稼ぐために・・・」の違和感は、端的に言うとマッチポンプっぽいということである。


確かに、私は会社から給与をいただいている。それは、日々の事務労働の対価なのかもしれないが、ではその事務労働は人件費を稼ぐためのものかというと、そうではない。様々な事業があるが、それぞれ「稼ぐ」ということから離れた目的がある。例えば、研修会を開くなら、有益な情報の提供や啓発などの目的である。現にそういった観点から事業は計画されている。たとえそれが建前だとしても、結果としての対価はあくまで副次的なものである。なぜなら、私は社会福祉をやりに(建前だとしても)ここにいるのだからである。お金は必要だが、金欲しさにここにいるわけではない。


上司が上述のようなことを言った事業も、建前ではあるが、やはり稼ぐことが目的ではない。しかるに、建前を越えちゃって「人件費を稼ぐために仕事をする」ということを言ってしまうということは、副次的であったお金が主目的だと声高らかに宣言することである。


私はそれは、あまりに節度のないことではないかと言いたかったのである。
それは言わない約束でしょってことである。


そしてこの宣言は、引用後述そのまま、お金によって働かされているという主客の逆転を認めてしまい、己の主体性を否定することでもある。
わが社ではこのような態度を、「組織人」として尊ばれる風儀があるが、私はこれも再考せねばならないことであると思っている。すなわち、ここに言う「組織」とはいったい何なのかということである。


振り出しに戻って、組織とは何かはまたいずれ書くことにする。


株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)

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