見えない言語の影響

今日も、ついに愚痴を言わなかった。


「負を言葉にしない」


昨日から立てた誓いだ。
どんなに上司が馬鹿だと思っても、シャキッとしろと思っても、それを改めて口にすることをせずに過ごすことができた。


我ながらよくやったと思う。


こういった負のエネルギーというか「穢れ」たものを物質化してしまうことは、それ自体危険なことなのだと思うようになった。
「穢れ」ではないのだけれど、震災直後、現地に派遣されたお医者さんが後日、現地での経験を報告すると、そのまま欝になることがあるそうである。
今まで経験したことのないような大事件、特に人の死が関わるような体験を言語化すると、自分の語った事自体が負の影響を及ぼすことがある。
翻って、正のエネルギー「ハレ」のものを物質化することは、これも強い影響力を帯びているということである。


言葉それ自体の力というと、胡散臭くて誤解されそうだけれど、私たちの思考は「言葉」なしにはできないし、言語によって思考は作られている。だから言語の複雑さを獲得することは、思考の緻密さを獲得することに直結している。この強い影響力を持った言語を、時間にのって身体に巡らせることで、私たちはエネルギーを得ていると思うのである。