そろそろ「学歴」とか言うのやめませんかねぇ

「勉強できなくても頭が良い奴はいる」と低学歴は言うが、本当に頭良いやつは学校の勉強ぐらい出来る−アルファルファモザイク


私の同僚に、ほとんど学歴の虜になってしまった人がいる。
人を判断するときの度量衡に、学歴を最優先している人である。
その人を見ていると、時々かわいそうに思う。


学歴を議論する時「勉強できなくても頭が良い奴はいる」という問いのたて方は、学歴議論の包囲から外に出ていない。「勉強できなくても・・・」という問い自体、学歴差別ありきだからである。
だから、学歴なんか関係ないのなら、それとは別の物差しとはなんだろうという遠く離れた問いがふさわしいのではないかと思う。


先の同僚の話だが、人の話をする時にまず「あの人は〇〇大学出身で」という切り出し方を必ずする。間違いなく同僚にとって学歴は、人間像を見る上での度量衡となっており、一般的な高度な大学を卒業していれば、能力も高いということに与している。
彼の誤解は「我が子もそういう大学に入学すれば能力も原理的には高くなる」というふうに逆説的に考えたところである。
果たしてこういう思考から、子どもはハッピーになっただろうか。その子の話を聞く限り、答えはノーだと私は思っている。


学歴が問題になるときに、その他の物差しを廃してしまうことが問題である。
このスレッドで意見されていることが物語るように、学歴はその人の人間性の一部にすぎない。
これが原理的に作用した時点で問題になるだけであって、人間性はそれ「だけ」では判断できないという態度が、学歴に関する問いを解決する基本的な姿勢ではないかと思う。


そういった意味では、年収だけでその人の能力を図ることと、学歴を語ることは、構造的には同じである。
また、この意見も既に誰かに語られていることである。