子どもは家庭だけでは育たないが

東北地方出身で金の卵世代の自分の親の話を聞くかぎり、子育てするのは年長の子どもの仕事か畑仕事がしづらくなった高齢者の担当といっていた。親は、畑仕事しているから日中は子どもの世話をしない(できない)。核家族化が進んでいる&少子化が進んでいる&義務教育がほぼ100%達成されている今において「家庭」で育てるのが可能だと思っているの?今までの日本にそんな時代があったの?


可能だとは思わないけれど、全く不可能なことだとは思わない。「家庭のみ」ということであれば不可能だけれども。
そもそも「誰がこの子を育てるのか」という問いに対しての、家庭という答えはそんなに無茶なことではないと思うんだけどなぁ。『子どもは社会が育てる』という言明も誤った考えというか言いようで、主体が絶対的に「社会」なのか「家庭」なのかを言うのではなくて、『子どもは社会に育てられる』とかそんな言い方しかできないのではないかと思う。現に子どもは『家庭と社会』によって育てられるのだし。


現在子育て中なので思うけれど、「子どもは社会が育てる」といって例えば保育園だとかが整備されて、育てますよというけれど、それをはなから当てにすることが果たして親のマインドとしてありなのかがずっと引っかかっているところ。


確かに保育園とか学童とかトワイライトとか、子どもを育てるための機関は色々あるし、助けられることもある。でも、それはあくまでも補助であって、そこが主体となって、私の代わりとして子育てをしてくれるわけではない。
先日、わが妻が切迫早産になりかけて私が仕事を休んで子どもを世話しようとした時、「保育園に一時的に預ければいいではないか」ということを会社からそれが当たり前のように言われると、ちょっとバカかと思ったものである。
子どもにとっても私にとっても基本的な共同体は家庭であって、家庭がなくても社会が育てます、あるいは国家が育てますという言葉には、なんとなく素直に頷けない。家庭が育てることが常識でないのなら、社会が育てるという言葉もまたありえないと思うし、そのどちらかでなければならないということは言わなくても良いのではないかと思う。


発声練習さんがエントリしている「団塊の世代をうらやまない理由」からの転載も、私としては全く異論はなく、そうだろうなと思う。そういった社会構造がもたらした家族のあり方を羨ましいと思うことはない。
専業主婦が常識、あるべき姿であるとは当然ながら思わないけれど、やはり私自身は、子どもが幼稚園なり学校から、誰かがいる家に帰るほうが、それがイデオロギーであっても、温かみを感じるし、そのほうがいいと思う。
だから私としては、専業主夫になる心の準備は万全なのである。