正しい?過去の物語

「私があなたの代わりに、全てを背負う。私があなたの代わりに、全て犠牲になる。」
あなたが私に仰りたいのは、こういうことですよね。こう言われた相手が嬉しいかどうか、よく考えてみて下さい。私の正直な気持ちを申し上げれば、「申し訳ない」という罪悪感を抱くとともに、「この人はなぜ、私自身の問題を私から取り上げるのだろう?」という迷惑感も感じています。


コメント欄が盛り上がってるので、なんだか羨ましいなぁと思いながら、エントリを読みました。

彼女(yuhka-unoさん)が体験したことや母親への感情や記憶は、コメント欄の人達がどう言っても基本的には変えられないと思う。
エントリに書かれている母親のことや経験は、彼女が語っている過去の自分の物語だけれど、現事実として過去を「そういうふうに」体験した以上、それが正しいかそうでないかは問題とは成り得ないのではないか。
例えば、彼女が語っている物語が、タイムマシンにのって過去にさかのぼり、傍から見て「あれは誤解だなぁ」と思ったとしても、彼女自身は実際に語られているような物語で、過去の現実を生きてしまったのである。
だから、正しいとか間違っているとか、両親の立場に立つととか、そういったコメントは結局彼女のテクストをほとんど読んでいないのではないかと思うのである。


この文章が知性的であるのは、自分の体験だけにとどまらず、現在美徳とされている子育て手法への懐疑という射程の広さではないかと思う。本人はそんなつもりはないかもしれないが、私はそう思う。
私が彼女のテクストを読み、彼女の抱えている地獄を、物語としては理解できるけれども、それでもやはり彼女が持っている体験の生々しさを追体験することは不可能である。
そんな中で、かいつまんで共感できるところとしては、彼女が抱える物語は、他ならぬ彼女自身にしか語りえないということ、それからこのエントリを読んで「私はあなたの味方です」といって微妙なコメントをしながら己の鬱憤を晴らしている人達のウザさである。