被災地へ行けという恫喝

「何かできること!できることがあるはず!」と、無理矢理自分以上のものになろうとするのは、どこか無理があり、どこか押し付けがましい。「私は何もできない」という現実をスタート地点として、そこから自分にできることを考え、見つけ、それを淡々と、一生懸命やるということなのだろう。

現実はシンプルかつ残酷だが、現実を救うのは結局現実だ。

私たちのやれることは限られている。
そして、今回の東日本大震災において、個々人ができることなど微々たるものだろう。


私は震災当初、「震災で皆が困っているのだから協力しろ」という恫喝から逃げてきた。
恫喝は、テレビからインターネットから、そして会社の人達からやってきた。私はそれらからできるだけ距離をおいてきた。


もちろん、自分だけのためではない。私の抱えている家族を守るためでもあった。特に子どもたちは、こうした恫喝に免疫がない。一番影響を受けやすい人達だ。とにかく、そういった暴力から子どもを遠ざけること。それが震災直後私がしてきたことだった。


私の震災は、そういうところから始まったのである。


震災から程なくして、会社が職員の災害地派遣をし始めた。
私はその趣旨には賛同するも、どこか違和感があった。
今にして思えばその違和感は、どのような顔で被災者に向き合うことができるだろうという、被災しなかったものの節度の問題だった。
私はスーパーマンではなく無力な人間だということの現実と、どうやって向き合うかということであった。


そんな事考えてる間に、被災地へ行けという意見もあるだろう。
確かにおっしゃるとおりである。


でも、私には生後間もない子どももいる。その子どもと妻をどうにかして、現地へ行くのはなにか違うのではないかと思っていたのである。私が今していることは人のためである。家族を置いておくことと、被災地を置いておくことが同等であるなら、私にとって家族は何なのか。
私が現地派遣を断っている間に、同僚たちが次々に派遣されていく。その仲間のことをどう思うのか言われたこともある。しかしそれも結局は震災当初から撒き散らされていた恫喝であって、理屈はわかるけれどなぜか直感がそれを受け入れない。なぜ、その仲間たちは被災地に行くのか。そしてなぜ被災地に行った「仲間」が私を恫喝するのか。


私にとっては、被災地派遣よりも今ある家族の方が大事であった。それだけである。それがなぜ恫喝されるのか、私に理解できないのはそこであり、もしこの「なにを差し置いても被災地派遣されるべし」という言葉が正当なものなら、支援のいる家族をおいて仕事で被災地へ行くことにどれだけの価値があるのだろうと思う。


そうは言っても、1週間後被災地へ派遣されることになった。
支援をすることについては、特に何もない。
ただ、自分の所属している組織に対して、今は言葉にならない断絶のようなものがあるだけである。