地域ネットワークは構築できるか

今日は地域包括・在宅介護支援センターの研修会。


地域包括支援センターで、いかに地域ネットワークを構築していくかという話がメインである。
ネットワークは小単位では町内会から大きいものは自治体まで、様々な大きさがあるが、どうも私たちはネットワークを作ること自体を目的としていないかというお話だった。


これは仕方のないことだと思う。この業界が既にそれを目的とすることを要請するからである。
地域包括支援センターの職員という立場であれば、そうならざるを得ない。
ここは自分の立ち位置を変えなければならない。


一村人としての私の目的は、私の手の届く範囲で何も起こらずに、毎日この土地で暮らし、そして死ぬことである。


そのために私は外に出て、自分の町のためになることをやっているつもりだが、それは地域福祉のいう予防的ネットワークの構築のためではない。
もしネットワークができたとするなら、それは私が外に出ることで私の周りに繋がりのようなことができたという結果であると思う。


地域包括支援センターがやろうとする「繋がり」を作ることとは、結局のところ幻想レベル、実態のないことなのではないか。
ここはとても難しいところである。
ネットワークが幻想(物語)であれば、可視化することはできない。マップ作りだとか連絡網をいくら整備しても、目に見えないのだからそこにあると言い切れない。
繋がりは時間性を帯びた連続状態である。
ネットワークを自覚するには、端的にいうと「同じ場所で他者とあること」になるのである。
ネットワークは時間と場所のことなのだ。


私たちはそういうものを破壊してきた。
どう破壊したかというと、そういう場所と時間を受益者として利用することはあっても、作り出すことや維持することをせずに、個人の時間とトレードすることによってである。
自己実現は同時に繋がりを破壊する方にも力が働いている。


愚痴になってしまった。