「とにかく早く判断しなければならない」の?

 私が大学に入学したのは2001年だ。入学して約半年後に9.11が起きた。あれこそ、熱狂だった。当時首相であった小泉純一朗は、即座にアメリカの報復行動に賛同した。日本の人々も口々に「テロ国家を許さない」と口走っていた。そこから、数年にわたり、アフガニスタンイラクへの米兵の侵攻が始まり、今も事態は収束しない。私は、ずっと混乱し続け、戸惑い続け、迷走し続けた。自民党民主党の議員に会う機会もあった。私の中にある、「戦争はよくない」という素朴な思いと、あまりにも熱狂的に盛り上がっていく人々の報復感情(それも内発的にはみえない、煽られ酔っ払ったような)に飲み込まれるような気持ちがあった。それに、実存的な「自分は何ものか」という問いがあわさって、「私は何をするべきなのか」という不安と疑問で鬱屈した生活をしていた。いつも「私には何もできない」という無力感と隣り合わせだった。


橋下さんがどんなことをしているのかを知らないので、このエントリを読んで「ふーん」と思っている気楽なヤツなのだけれど、このエントリで惹かれたところは橋下氏のところではなくて、9.11以降の熱狂のくだりである。


私はこの文章の「9.11」をそのまま「東日本大震災(3.11)」を当てはめて読んだ。そうしたら、去年の春先の私になった。
3.11以後も、まさしく熱狂であったと思う。「いまこそ国のために我々は立ち上がらなければならない」という、言葉ではない雰囲気が瀰漫していた。
私は、東北の災禍に対して何かしなければならないという気持ちと、ナショナリズム的な言葉で自分の気持ちや行動が言語化されることの嫌悪の狭間で苦しんでいた。


私が立ち止まっている間にも、熱狂は加速していく。私は無力感を伴いながら、日常を淡々と過ごしてきた。


3.11から10ヶ月経った。
当時ほどの熱狂はどこかへ行ってしまったように思う。振り返ると、あの頃の熱狂も私のようなどうしようもない大衆が、あの災禍を誰かのせいにしたくて彷徨った結果のように思う。
しかし、どれだけ支援しない人を叩いても、花見を自粛しなかった人を恫喝しても、東北は被災したままであった。
結局、自然災害というリスクとして到底対処しようのない事態を、現在我々が使っているフレームワークで片付けようとしたことが、熱狂のエネルギーとして備給されていたと思う。「想定外」という言葉がそれを物語っている。


あらゆる災禍を想定し、それに適切に対応するという言葉は、とても美しくてかっこいい。
でも、かっこ良く対応出来なかったら?想定外の災禍となったとしたら?うまくいかなかったとしたら、私は駄目な人間なのだろうか。うまくいったら、立派な人間なのだろうか。私は、この「結果」による人間の「査定」に苦しんだのだなと思う。
うまくいってもいかなくても、それによって人間を判断しなくてもいいじゃないか。「とにかく早く判断しなければならない」という切迫感は、一体どこからやってきたのだろうか。