「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった」と言える知性

思うに、君は早いうちに認知と知性に関する道具をつくり上げて、新しいことを身につけたり処理したりということを素早くできるようになったのです。でも、あまりにもそれに頼り過ぎてしまって、それだけでは対処できない事態に必要となる、ちゃんとした道具一式を全く発達させなかったのです。私がそうでした。でも、大学一年の一学期に壁にぶつかるまではそれに気づきませんでした。君に質問があります。だれか今までに時間をかけて勉強の仕方を教えてくれた人はいますか?それとは別に、先生やカリキュラムなしで自分自身で勉強する方法を君は学んだことがありますか?これらは習得することのできる最も重要な道具です。なぜなら、この道具を使って、さらに強力でさらに遠くを見通すことのできる道具をつくることができるからです。


転載の転載ですが。これはすごく同意。


我が身を振り返ると、勉強の「仕方」を教えてくれた人というのが重要だと思う。
今、我が子を見て、自分の勉強の軌跡をたどることが多くなったのだが、勉強そのものではなくて「勉強の仕方」が重要というか、これに尽きるのではないかと思う。


私は中学1年生まではとても勉強がデキる子であった。テストでもほとんど悪い点をとった記憶がなく、計算も見た瞬間に答えがわかってしまうぐらいであった。それはなぜかというと、公文をしていたからである。
公文式は、問題の反復練習である。私は学年のかなり先の計算問題を反復して解き続けていた。当然、学校で習うことは既知のことである。しかしこれが仇となった。
私はそれを自分の才能だと勘違いをしてしまったのだ。それは才能なんかではなく、情報の先取りをしているだけなのに、大した努力をせずに問題が解けてしまったためそう思ってしまったのだ。引用を借りて言えば、他人の道具を使うことはできたが、それを自分のものにして「道具を発達させる」という発想自体がなかったのである。


中学になってから、成績は普通になっていった。なぜかというと、中学に入ると覚えることが増えたからである。
私は、計算問題を解くことはできたが、知識を問われる問題が苦手であった。歴史的に起こったことを覚えられない、というか覚える仕方を訓練して来なかったからである。だから当時は、なぜ社会科や英語(特に単語の意味)が苦手なのかがわからなかった。
それは、物心ついたときに公文式をしたことによって、それに頼ってしまった事によるものだと今は思う。


それがわかったのは、自分が家庭を持ち、子どもを見てからであった。
私は自分が思うほど頭は良くない。そのことに気づいたことが、せめてもの救いである。