野田聖子議員を擁護するつもりはないけど

「病気を持った子供を産んでかわいそうと、批判は今も受けますが、1年間育てて、分かってもらえた気がします。かわいそうといわれると違和感がある。私には、かわいいとしか思えない」。真輝ちゃんは1年で7回手術を受けた。


7 名無しさん@12周年 :2012/01/22(日) 15:26:19.50 id:HeJTEVGO0
かわいそうなのは子供の方なんですけど


10 名無しさん@12周年 :2012/01/22(日) 15:27:29.44 ID:1bk05Idi0
>>7が全てだな


190 名無しさん@12周年 :2012/01/22(日) 15:47:34.00 id:F9GLlSag0
>>7で終わってた



私は、野田聖子議員の為人や出自をよく知らないし、調べまわってもいないので、彼女が言っていることをそのまま読むことしかできない。ただ一人の「障害児のお母さん」として。
そうすると、彼女の言っていることは特に違和感がないのだけれど、このスレの人達は彼女が議員ということで、横暴な振る舞いの中で子どもを人形や道具として扱っている、ということにしたいように見える。
けれども、ここで彼女自身何度も「母」という言葉を出しているように、今回は母としてこのことを取り上げているのであって、それをそのまま受け止めることは、読み手にとっては無害であろうと思うし、仮にこれが腹黒議員の策略だったとしたら、私達はまんまと野田議員の策に引っかかったことになる。このスレに罵声を綴ることで、「野田聖子議員」という言葉が方々に散っていき、政治家としてのアナウンスメントは果たせたことになるのだからだ。


細かいことを突っ込んですまないが、野田さんは「かわいそうなのは子供のほうだ」ということに対して違和感があるということを言っている。したがって、このまとめの抜粋レスは同語反復をイキって言ってしまい、且つそれに同調した人達が己の文章読解能力のなさを露呈するということを晒したかったように思うのだけれど、そういう一回転ひねりであれば、やるなぁと思う。
野田さんが自分自身のことをかわいそうとは言っておらず、子どもがかわいそうと言われ続け、それに答えるという構造で次の文章を読むと、

「病気を持った子供を産んで(子どもが)かわいそうと、(私に対して)批判は今も受けますが、1年間育てて、分かってもらえた気がします。(子どもが)かわいそうといわれると違和感がある。私には、(子どもは)かわいいとしか思えない」

ということになる。障害児のお母さんの文章だといわれれば、どこも不自然なところは見当たらないように思う。


さて、私も子どもがおりますが、この野田さんの言うとおり、わが子は可愛いとしか思えない。そして、他の子たちを可愛いなどと思ったことは一度もない。これは、子どもを授かった人間にしかわからないだろうと思う。現に私にはわからなかった。
独身は、他の子どもたちは自分とは違う人種の包括的「子どもたち」として捉えている。自分の身に迫った比較対象を持っていないからである。
しかしひと度、比較対象が現れた時、わが子が可愛いと思うことは仕方のないことだと思うのである。

それが当然だし、そう思わなければ親ではない、と言うつもりはない。わが子を可愛いと思えない親はいくらでもいるだろう。
しかし、少なからず子の親たちは身内に甘く、傍から見れば小ブタのような子どもであっても、親自身は贔屓目に見て可愛いと思っているものなのである。
野田聖子も然り。わが子が可愛いと「議員」としてではなく、「お母さん」として言っているのである。「議員」という立場からは、わが子が可愛いという言葉は発することができないのである。政治家は子どもを包括的にしか見ることができないからである。


というふうに、私も野田聖子議員の策略に全力で乗ってしまった。南無。