カネのない豊かな人生

今の若者の親世代は、「安定した進路」「良い学校→良い就職先→良い人生」という価値観を持っていて、そこから外れてしまったら人生終わりという恐怖感を植え付けられていると思う。私はこれを「親世代の呪い」と呼んでいる。

これやっぱりそうなのかなぁ。
確かにこの手の「親世代の呪い」はあると思うけれど、今の若者の親世代に限ったことではないと思う。それこそ団塊が親だった頃にも、「良い学校→良い就職先→良い人生」という価値観はメジャーであったと思う。

「こういう時代だからこそ、子供を安定した進路に」という気持ちもわからないではないが、むしろこれは、社会に余裕があり、安定が十分確保されていた時代だからこそ通用した生き方だと思う。

社会に余裕があるという時代をどれくらい射程に入れるかにもよるのだけれど、なんだかんだで戦後日本は市民生活が揺さぶられるような大きな動乱もなかったと考えると、最近というわけではなくて40〜50年間は、社会はそれなりに安定していると思う。そう考えると、「こういう時代だからこそ、子供を安定した進路に」という価値観は、戦後世代にはメジャーな価値観になるだろうし、戦前世代であっても人生の大半を安定した社会に身を投じているし、そもそも戦前こそこうした価値を重んじていたかもしれないので、現在の日本国民の大半はこのような価値観の中にいるということだと思う。いささか乱暴だけれど。


私としては、「こういう時代だからこそ、子供を安定した進路に」という価値観に同意するけれども、それが具体的に「良い学校→良い就職先→良い人生」なのかというと疑問に思う。


父はちょうど団塊世代で、私は世にいう「団塊ジュニア」だけれど、父が言っていたことは「良い学校→良い就職先→良い人生」ではなく、「カネに苦労するような生活はしたくない」であった。
父の生家は自営業で、田舎であったこともあって羽振りが良かったわけではなかった。その時代は皆が現在のように物質的に豊かなわけではなかったから、特別なことでもなかっただろう。だから、その後急激な生活変化の中で、お金に苦労する生き方はしたくないということを感じるようになったのだろうと思う。
だから、父は大儲けするわけでもない、けれど飢えることはない仕事を選んだ。そして、私には「カネに苦労するような生活はしたくないなぁ」と事あるごとにつぶやいていたのである。
私はその生き方を、「草食系サバイバル術」と呼んでいる。


やりたいことがあってそれが効率よくお金を稼ぐことができるものであれば、それに越したことはないのだけれど、だいたいやりたいことというのはお金とは無縁なことが多い。それに、安定した進路を選択したからといって、やりたいことを諦めなければならないわけではない。
「生きること=勤めること」となれば、選択した結果が全てになって死活問題になるけれど、生きることは生きることなのだから、仕事をすることをそこまで上段に上げなくてもよいとも思う。