スト2が青春だった僕がモバゲーを嘆いてみる

消費者庁におけるグリー、モバゲーに対する所謂「コンプリートガチャ」について、思うところがあったのでここに記す。


約20年前、アーケードゲームに革命(言い過ぎかもしれないが)が起こった。
当時のゲームジャンルとして一線を画す、格ゲーブーム。
私は高校生で、ゲームセンターが息を吹き返していく様子を間近で見ていた。
その頃から、スト2を作ってくれたCAPCOMのファンである。


スト2から始まる格ゲーの登場を「革命」と言ったのには、色々な理由がある。
当時では目新しいジャンルであることも理由の一つではあるけれど、私が特に革命だと思っていることは、ゲームの身体性だと思っている。


それまでのシューティング、レースゲーム等、特定の操作を体に覚え込ませなければならなかったゲームは数多あるけれど、それをより精密に要求してきたゲームが格ゲーだったのだと思う。十字スティックと6つのボタンを使って繰り出される技の習得過程は、そのまま新しい身体運用を習得していく過程である。
ゲームをする私達は、ゲーセンという道場に通い、日々コツコツと修行を繰り返していたということになる。
自分の習得した技、身体運用が有効かどうかを試す場が、身近なところに現れる。現れた所の是非はともかく、私はこの時期に訪れたゲーセンの「暖かさ」みたいなものを今でも評価している。


何が言いたいかというと、今のゲームのあり方というか、特にゲームの技術習得について、ゲーマーの二極化が進みすぎているのではないかということである。


モバゲーの話はそこにつながってくるのだけれど、カードゲームがアーケードに登場してから、途端にゲーセンから格ゲーが消えてしまった。
モバゲーやアーケードカードゲームは、コマンド入力を練習しなくとも、カネさえあればゲームに参加できる。それが、幅広くユーザー層を獲得したことは事実なのだけれど、同時に格ゲーのような「ちょっと練習するとおもしろいゲーム」はゲーセンから消えてしまったのである。今、ゲーセンに行って100円で数十分粘れるゲームなどない。だが、カネを積めば遊ぶことができる。ゲーム会社の台所事情もあるから、一概にそういった状況を批判はしないけれど、なんとなくゲーマー同士を繋いでいた「共通身体運用に基づく絆」のようなものは完全になくなってしまったように思う。代わって、より多くより強いカード(アイテム)を持った人間が、ゲームを楽しむことが出来るという、冷えた弱肉強食連鎖が現在のアーケードゲームに漂っているように見える。

モバゲーも、そういった趨勢の例外ではない。ソーシャルゲームは、一見コミュニケーション主体のゲーム構造のようだが、身体的な裏付けのないネットワークは、やはり脆弱なものになってしまうということを今回露呈してしまったように見える。モバゲーのプロデュースするソーシャルゲーム群は、結局のところ上記のカードゲームと同じであり、特殊なコマンドによる身体運用は一切いらない。アバターに伴っているカネがあるかぎり遊ぶことができるが、そうでなければ退場せざるをえない。


翻ってPCゲームに代表されるFPSは、かなりの技術習得が必要であり、基本的には閉鎖空間でゲームは進行していく。この、ソーシャルゲームFPSの間にある技術格差は、ユーザー層の増減やゲーム業界全体の利益などをとりあえず置くと、ゲームにおける身体性の二極化を起こしている。


私はこの状況を寂しい事だなと、懐古厨よろしく嘆くわけである。

600 水先案名無い人 :2009/10/27(火) 23:13:02 id:Kz2TQAoZ0
【職業】日本で“プロゲーマー”になる方法って? [10/17]
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1255767855/l50
141 名前:名刺は切らしておりまして 投稿日:2009/10/18(日) 23:57:00 D3dVYXI7
どうでもいいけど、カプコンウメハラにお金を払えよマジで。


どれだけストリートファイターを牽引したと思ってるんだw


3rdの全段ブロッキングなんて、現代の伝説だろ。


162 名前:名刺は切らしておりまして 投稿日:2009/10/19(月) 06:18:10 tH1nZ6oA
カプコンウメハラ雇おうとしたが拒否された



601 水先案名無い人 :2009/10/27(火) 23:17:26 id:MEd982kp0

かっこいいな
俺なら喜んで入っちゃうよ



スト2の最強ゲーマー、ウメハラ氏は、私たち世代からするとロマンなのだ。高度な技術によって作られたプレイストーリーはギャラリーを強く惹きつけ、一体感を生む。現在のソーシャルゲームに、このようなことが可能かといえば、不可能だろう。身体運用によって、彼が行なっていることがどれほどすごいことか、プレイした人間にしかわからない。しかし、ソーシャルゲームはそのような身体運用は必要ない。仮に傍らで他の人のゲームを見ていたとしても、カードの強弱によって決まる勝敗に、ギャラリーが共感することは難しいのではないか。


この格ゲー衰退によるゲームの身体性の喪失は、20年前、小さなゲーセンで感じた「暖かさ」を、ゲーム構造自体が失ってしまった結果であり、この延長線上に今回のモバゲーがあると思う。