福祉職の処遇に関するぶっちゃけ

イギリスは階級社会だといわれているが、どういうことかなあと思ってド素人の付け焼き刃で「イギリス階級論―サッチャーからメージャーへ」(J. ウェスターガード著)を読んでみた。

イギリス階級論―サッチャーからメージャーへ

イギリス階級論―サッチャーからメージャーへ

そもそも発端は、「階級」と「階層」は概念としてはどう違うのだろうというところから始まって、ホントの「階級」はいったいどんな構造をしているのかなあという疑問からイギリス階級社会に興味を持ったのである。
イギリスの階級制は批判にさらされながらも、実際は今日まで生き続けており、巧妙に隠蔽されているが階級はなくなっていないというのが本書のSUPERザックリな主張だと思う。

私がこれから論じることが日本に適用できるかどうか、それを判断するのは皆さんである。

「イギリス階級論―サッチャーからメージャーへ」(J. ウェスターガード著)P11


ウェスターガードさんもそう言っているので、思いっきり本書のイギリスを日本に脳内変換して読み替えてみたら、まるで預言書のように今日までの日本のことを書いているようだった。(特に労働党離れ=民主党離れがツボだった)
そして、ここに書かれていることが日本で起こっているとして、日本の階級制がどう機能しているのかなあという邪悪な憶測を、私の生活範囲内のことでここに記そうと思う。


まずそもそもの「階級」と「階層」の概念的違いはどういうものか。「イギリス階級論」を読んでますますわからなくなったので、色々と調べてみると、

社会階級(Social Class)という用語は社会の不平等状態を表示するために、何らかの指標を用いて当該社会の人口を2つまたはそれ以上の部分に分けたものである。最初にこの用語を使用したサン・シモンは貴族階級・ブルジョア階級・産業者階級に分けたが、この言葉を一躍有名にしたのは生産手段を所有するブルジョア階級と所有しないプロレタリア階級という二項対立を立て、両者の階級闘争に勝利をおさめたプロレタリア階級によって搾取なき共産主義者会が成立すると予言したカール・マルクス(Karl Marx:1818-83)であった。
これに対し社会階層(Social Stratification)とは、すでに述べたように、社会において社会的資源ならびにその獲得機会が、人びとのあいだに不平等に分配され、結果的に人々が序列化を伴うグループに区分されている状態である。階級も階層も社会の不平等状態を示すという点では共通しているが、前者が階級間の閉鎖性および移動の困難さ、階級闘争という階級間の「対立」を強調するのに対し、後者は階層間の境界の不明瞭さ、上昇または下降(社会移動)の容易さ、階層間の対立意識の希薄さを特徴とする点で決定的に異なる。
先進資本主義諸国においては、マルクスの予言とは異なり資本家階級と労働者階級の対立は先鋭化せず、逆に近代化の遅れたロシアや中国で社会主義革命が生じた。恐らくその原因は、先進国では産業化の発展と共に中高等教育が普及し、産業構造の変化と相まって資本家でも肉体労働者でもない、大量の中間階級(ミドルクラス)が登場したためである。発展途上国では現在でも貧富の差が大きく、中間層がきわめて少ない。


「基礎社会学」(著:赤坂真人)P81 8.3 階層と階級

基礎社会学

基礎社会学

なるほど闘争を伴った移動の難しいエッジのきいたものが階級で、序列化された比較的移動が容易なものが階層だとすると、「所得階級」という概念ではなくて「所得階層」が正しい解釈の仕方なのかと思う。階級内にも所得階層は存在するから、階級は所得や社会的機会などを考慮した総合的な解釈でいいのだろうか。


日本においては1970年代に一億総中流を掲げてなんとなくみんな中流階級になったつもりいるかもしれないけれど、依然としてアッパークラスはより強くなって存在しているし、アンダークラスも存在している。そうした事実は今日全然語られない。日本は(というか日本のアッパークラスの人たちは)階級という概念を使って社会の仕組みを論じることを忌避している。(そういえば「勝ち組負け組論」は近年階級を語っていた稀な例かもしれない)
確かに、「正規職員と非正規職員」や「所得格差是正」といった概念で「階層」については論じられるけれど、そこに通底している厳然たる「階級」に関しては腰を据えて論じられることはない。「正規職員と非正規職員」で言えば、正社員に就くことができる機会は本当に全員均等なのか、そうした機会すらなくて非正規職員しか就く機会が得られない人たちがいることをどうして語らないかという疑問がある。
イギリス階級論のウェスターガードさんはそうした状況を「隠蔽」といっている。日本では階級問題が、階層問題にすり替えられて論じられているのだと思う。そういうことをするから私みたいに階層と階級の概念がよくわからなくなるのである。


さてそうした中で、私の就いている福祉職の現状を記そうと思う。
社会福祉関係の職は施設管理者、ケースワーカー、介護職員、看護師等、様々ある。私が問題と感じるのは主に介護職の処遇に関することである。介護職は専門職として扱われ、現状の処遇は劣勢であるので向上させるべきというのが論じられる。制度としても処遇改善加算があり、所得面での改善が図られている。しかし、福祉職を階級概念で論じた場合には少し違った状況になるのではないかと思う。
マニュアル職(ざっくり肉体労働)とノンマニュアル職(ざっくり管理職)という階層分類を使うと、アッパークラスはノンマニュアル職が多く、逆にマニュアル職はアンダークラスが多いのが現状である。ここではデータによる説明はしないが、これに関しては多くの文献が論じている。専門職(弁護士や医師)はノンマニュアル職に分類され、ミドルクラスはノンマニュアル職の中でも中下層、マニュアル職でも上層に就いていると思われる。
専門職はノンマニュアル職と記したが、では介護職はノンマニュアル職か、ということを整理しなければならないと思う。
福祉職の人々は「介護職は高い専門性と豊富な知識を必要とする専門職」としているあたり、ノンマニュアル職と解釈したいと思っているだろうが、私はそうは思わない。実際に介護職の求人を見てみると、介護職の専門性を担保するのは介護福祉士等の資格であるが、それはあくまで技術面での専門性の保証のみである。何を言いたいかというと、介護職の資格は介護的身体運用とそれに伴う知識を担保するだけであるので、ノンマニュアル職に必要な組織運営管理や経済観念は何ら保証していないということである。すなわち、福祉職の人々が言及しなければならないほど介護職は専門職だが、肉体労働である以上はマニュアル職であり、階級としてはミドルクラスでも下層の人々かアンダークラスが多いのではないかということである。
処遇改善として福祉職内での所得格差を減少する試みは必要なことかもしれないが、それはあくまでも所得の均等を図ったのみであって、これによる階級移動は起こらない。介護職が所得以外の労働条件の改善を求めるのであれば、階級闘争的なことが起こらない限り実現は難しいのではないかと思うのである。