失われた故郷の風景

今週のお題「僕の住む街・私の地元」について記す。


私の地元の原風景は、田園と畑が続く絵に描いたような田舎だった。夏には田んぼで魚やザリガニを捕ることができ、冬になれば霜柱を踏んで歩く。そういう場所だった。
しかし、現在の私のいる街はもうそんな場所はほとんど残っていない。田畑どころか山々を切り崩して新しい一軒家が建ち並ぶ、ピカピカした街になった。街道も以前より広くなって、交通量も多くなった。静かで緑の多い長閑な地元は跡形もなくなった。そして、今でもわずかに残った原風景は破壊されつつある。


私はこれまで、このわかりやすい地元破壊が単純に許せなかった。自分が懐古主義だからかもしれない。これまで見てきた風景が変わることが我慢できない。だが、いくら考えても、この趨勢を止めることはできない。では、どうしたら私はこの哀れな地元に住み続けることができるのだろう。


ここ数日のうちに考えていることは、今の我が地元の状況は、結局のところ私たちが望んだ帰結なのだろうということだ。


30年前、私たちは買い物をするにもバスを使って1時間以上出かけなくてはならなかったし、病院へ行くにも同じようなことだった。今思うと、日常生活で不便なことが山ほどあった。そういった小さな不便を克服するために、この30年を費やしたのが、これまでの地元の歴史と言っていいと思う。今では近所に食材スーパーが余るほどでき、病院もたくさんできた。バスも本数が比較にならないほど増えたし、夜は昔よりずいぶん明るくなった。
ただ、そういった利便性と引き替えにしたものが、今は恋しく感じるのである。


最近の言葉を使えば「絆」とかそういうものになるのかもしれない。でも、私が引き替えにしたと感じているものはそんなものではなくて、自分の中にある過去そのものなんじゃないか。そう思うのである。


物理的に普遍な風景はこの世にはないと思う。けれど、私の中に刻まれた記憶の風景は、時間を超越した普遍性を持っている。だから、私はどこかでこの記憶にある「完璧な地元」と今を比較する作業をやめなければならない。今の、破壊され続けた地元を「僕の住む街・私の地元」としない限り、私にとっての地元はどこにもなくなってしまうからである。


私の住む街、地元は原形としては失った。失ったものを再生することは困難である。したがって、これからは私の生まれ育った、しかし新しい地元を作っていくほかないのである。