序破急と剣道における「攻め」の概念

社会人から剣道に復帰して随分経つのだけれど、「攻め」の概念を長い間勘違いしていたことがわかったので書く。


先日、道場にて大人同士で地稽古をしていると、全く打たせてもらえない相手にあった。本当に全く打てないし、全てさばかれて打ち返された。稽古後、改めてお礼を言いつつ、どこが問題だったのかを訊いたところ、そもそも私の剣道は「攻めが決まっていない」という指摘をいただいた。


実は放置していたこの剣道における「攻め」という意味の理解。遂にこの歳になって、意味を理解する機会を得たのである。


おそらく世の剣道諸先輩方は、「攻めとは何ですか」という問いに、「稽古によって自得するものである」とご教授してくださるだろうけれど、ハンチクなリバ剣男にとって、この回答は甚だ受け入れがたく、ネットで調べるという更にハンチクな方法で「攻め」の理解を試みたのであった。


そもそも、私の剣道における「攻め」の意味は、端的に「中心を取って前に出ること」であった。それによって相手がどうとか関係なく、「攻めろ」という指示に対しては交刃から中心を取りつつ前に出ることを指すのだと思っていた。しかし、調べていくうちに剣道の「攻め」という言葉の概念の幅の広さに、ただ「中心を取って前に出る」という行為のみが「攻め」ではないということがわかってきた。


序破急という言葉がある。この「序」が実は交刃から中心を取りつつ前に出る場面になると思われるが、私の上記の様子だと「序」が疎かになっていたのである。
実は、一つ勘違いをしていて、攻めて前に出たら「すぐに」打突しなければならないと思い込んでいたところがあって、前に出たら打ち気が勝って攻めを疎かにして打って出ていたのである。本当であれば序破急に従うなら、私は「先に」攻め入ることが「攻め」の真の目的でなければならなかったのである。今までは後先関係なく前に出て中心を取れば攻めが成功したとみなしていたが、ことのほかこの「先」が重要だったのである。ポイントは「序」は速くなくてもいいというところである。勝ちたいと思うと、相手よりも速く動いて速い打突をしなければならないと思っていたが、順序が相手よりも早ければ「先を取る」ことになるので、慌てなくても良いということなのだ。だから、先の稽古では私は攻めていたのではなく、相手の攻め(この時私はこれを真の意味での「攻め」とは思っていなかった)によって、前に出されて打たされていただけだったのだ。


そう思いたち、実際に「先に」ズズッと前に出て我慢していると、いろいろな人がいることに気づいた。そのまま止まっている人、竹刀を払う人、そして打ってくる人。でも、私は先に攻めることによって相手が打ってくることを知っているのだから、相手よりも速く応じることができる。この文章にすると非常に簡単なことを理解するのに、また、実際に実感するまでに至ったのに20年以上かかったのであった。これだから剣道は面白いしやめられない。