実存主義 and 反知性主義

 本当にたまたまなのかもしれない。本当にそうなのかもしれないけれど、たまたま、僕の周囲にいる人たち、特に60代の人に多いんだけど、反知性ぶりがすごい。それは普段の振る舞いとか、言葉の端々とかに結構はっきりと現れている。


 よく言えば自己肯定感なんだけど、過ぎるとそれはナルシシズムなり行き過ぎた実存主義になるんだと思う。そうしたことが、態度や言葉の暴力性として表されると思われるのだ。


 まず、他者の話を聞かない。まあ、別に聞かなくってもいいんだけど、開放性がまるでない。入り口からして開いていないのだ。これは開いているけど聞かないという態度とはずいぶんの差だと思う。自分の考えに自分しかいない。人の話が全く影響しない。
 そうして出される決定なり意見を、僕はだめだというつもりはない。けれど知性の開放性のなさがもたらすことに関して、残念というか端的に言うと「何がしたいんだ、おまえは」と思うんです。
 どうしてそこまでして、己を守りたいのか。自分の意見なり持ち物なりが崩れることに、どうしてそこまで過剰に反応するのか。何かあったの?って思う。


 まあ、「威張りたい」とか「自分の意見(ある種の確信)を通したい」とか、僕がそういう欲望がないので、上記のようなマインドセットが異常に見えるのかもしれない。でも、それが自分の身近なところにいると実害があったりするので困っているところもある。


 敗北知らずはかっこいいんだけど、負け方に関しては自信のある身としては、勝利の分だけ敗北もないと間尺があわないよと思うし、敗北した人の方が人間的に深みがあるんだけどなあと思うのである。