気に入らない本が出版されるということ

本心はどうか。それを販売すること、売上にすること、酒鬼薔薇聖斗の印税になってしまうことについて、どう気持ちを処理すればいいのか。

僕はこの本を買わないし、今後も読むことはないと思うけど、そういったことではなくて、この本が出版されたことを巡るやりとりについて、思ったことを記そうと思う。


上記リンク先は、書店の方が書いているのだと思うけれど、まず「売らなければならない」という言葉を「店頭に置かなければならない」という言葉に代えなければ、本当のことがわからなくなると思う。


つまり、言いたいのは「カネが何だって言うのか」ということだ。


本を読もうと思ったら今のところ買うしかないのだとして、その対価は支援のための一票ではない。ただのカネである。結果的に印税として酒鬼薔薇聖斗を支援する(潤うという表現もできる)ことになるのかもしれないが、カネに何ができるというのか。もし、酒鬼薔薇聖斗がカネを目的にこの本を出版したのだとすれば、こっち側の姿勢として「別に本なんて読まないけど、カネがほしけりゃくれてやる」という態度もあり得る。問題は印税やカネの話ではない。最近の問いの立て方は、すぐにカネの問題にすり替えられるが、そんなものが問題の本質なわけがない。


そうではなくて、問題は、酒鬼薔薇聖斗が書いたという本そのものではないか。


月並みにはなるが、もう本が出版されてしまっている以上、ここから出発しなければならないとして、この本は読むべきか読まざるべきかという問いは立てられる。もし、この本が自費出版で無料で手に入れられる物だとして、果たして僕らはこれを、今、本当に、貴重な時間を割いてまで、読まなければならないのだろうか。否、このような駄本に時間を費やすのは、本当に無駄なことだと僕は思う。


もし、酒鬼薔薇聖斗が書いた「絶歌」を議論したいのなら、「ほんとにこんな本読むの?」という問い立てをしてみるといいと思う。そして、この問いはどんな本にも応用できるものである。