相手の立場に立つということ

仕事の関係で、大学生の会社見学を受け入れることになったらしい。「らしい」というのは、僕の仕事ではなくて、別の部がその仕事の担当になっているからだ。ただ、こちら側としては会社見学のプログラムを提案する必要があるらしく、案を作る段になって担当者から僕に相談が少しあったわけだ。
担当者は、僕とは別のアドバイザーから「相手の(この場合学生の)立場に立ったら何が知りたいかを考えて作ろう」と助言があって、それをもとに作ることになっていた。


この「相手の立場に立って、且つ何が知りたいかを考える」ということが僕の中でどうしても引っかかって、でもその場では言葉にしなかったので、ここに記す。


相手の立場に立つという想像はとても難しい。なぜかというと、相手の立場に立つように想像を巡らせたとき、必ず自分の"読み"が入るからである。その"読み"の割合が大きい場合、それはもう相手の立場には立っていない。だが「相手の立場に立つ」ということを軽く考えたときに得てしてそうなってしまいがちであると同時に、今回は「何が知りたいかを考える」がついているために、余計に己の"読み"が入ってしまう可能性が高い。この二つの条件から、果たして相手の立場に立つことは至難の業なのである。


「じゃあ、相手の立場に立つとはどいういうことなんだよっ」と思うでしょう。


「相手の立場に立つ」ということは、時間軸や相手の思考パターンも含めて相手になりきる、いわば内側から相手になること、且つその内側の相手になった己を、外側からもう一度考えることである。


今回の例えで言うと、会社見学に来る学生の立場に立つとき、自分が学生だったときのことを想像して、それを当てはめてはいけない。なぜなら彼らを取り巻いている環境(時間軸)は、自分が学生だったときのそれと違うからである。だから、今の学生をまず想像しなけばならない。思考パターンも同様である。物事に対する構えは、自分が学生だったときとは違う可能性もある。相手の立場に立つには、相手の置かれている状況をも勘定に入れて想像する必要がある。
そしてそうやって作りだした自分の内側にできた仮の相手を、今度はもう一度見直すことで初めて相手の立場に立った思考が可能である。会社見学に来る学生(仮の相手)が望むであろうことは、果たして僕らが伝えるべきことだろうか。こちら(外側の己)が考えることとどうやって折り合いをつけたらよいだろう。ここまで考えてようやく"勝手読み"の割合が減るわけである。


だから、相手の立場に立つには自分自身も多くの経験(特に立場がシフトするような経験)が必要なのだ。現実に立場が変わることを経験するのが一番質のいい経験である。教えるものから教わるものへ、与えるものから受けるものへ、私たちは絶えずこうした立場のシフトを経験しているはずだが、その経験はいつしかその時の趨勢でどちらかに偏ってしまいがちである。本当はそういった趨勢を割って反対の立場になることが、自分とは違う立場になることだと思う。


果たして、今度来る学生は会社見学に望んて来るのだろうか。